狼はブラックコーヒーが好き

ブラックコーヒーみたいなブログ…かな? たまには砂糖やミルク、入れることもあるかも        
スポンサーサイト
0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    | - | | - | - | ↑TOP
    「サイバー話」その5
    0

      「サイバー話」… ラスト… だね。

      とにもかくにも、あの頃大友譲二に惚れて、ついでにその声のオレにまで惚れて…かどうかは知らないが、ファンレターなるものをくれた人たちには、20年以上が過ぎた今だけど、あらためてここでお礼が言いたい。あんなにド緊張してなかなか慣れずに不安の中でやっていたオレをがんばらせてくれたのは他ならぬあなたたちだから。ホントにどーもありがとう! 

      他の声優さんはみんな忙しかっただろーしどーだか知らないが、オレは必ずいただいた手紙には返事を出していた。オレは別に人気者じゃないからそんなに膨大な量のレターをもらってたわけじゃないから可能だったんだけど、たとえずいぶん遅くなっても出来るだけ全部に返事を出していたので、またそれに返事をくれた人にはまた返事を出し、多分業界では有り得ない文通状態になっていたね。(笑)

      人気声優さんたちがアイドルのようにコンサートやイベントをしてファンの人たちと交流するのとは違う形でのオリジナルな交流の仕方だったけどね。だけどそれもまた楽しかったよ。アニメ苦手って何度も言ってるけど、そういうファンの人たちとの出会いがあったということでもあの仕事はさせていただいてホントによかったと思う。

      さてと…、オレがここで「サイバーフォーミュラ」を語るということでネット上のどこかで嗅ぎ付けて覗きに来てくださった方も少しはいるかも知れないが、オレが語れるのは結局こういったことで、「サイバー」に出演されていた他の人気声優さんたちとの楽しいエピソードや収録スタジオでのあんな話こんな話などというのでは全くなく、つまらなく感じられたかもね。まあでも、そーゆーのが知りたい聞きたいと言う人は、そーゆーのを書いている人のブログなりHPを覗けばいいわけで、やっぱここではオレ流にしか語れないし、サイバー話は一応はこの辺で…ということにしよーと思う。あしからず。

      ただ気まぐれて、サイバーの打ち上げ旅行のことやその他細かなことで思い出して書きたくなったら書くかも知れないけど…。誰が待っていよーと待っていなかろーと、しかもオレ流の書き方で…ね。あとそれからCMの話とかもね。

      でも最後にもう一度言っておきたい。あの頃レターをくれて応援してくれてオレの元気を引っぱり出してくれた皆さん、ホントにどーもありがとーございました。

      いただいたコメントがキッカケになってこんなに「サイバーフォーミュラ」のことを思い出したことはなかったよ。楽しかったー。



      *ここに当時制作スタッフさんからいただいた大友譲二のセル画の写真を載せようと思ってたんだけどどこに仕舞ったんだか見当たらない。なのでそれはまたいずれ…。


      JUGEMテーマ:テレビ番組
      | 仕事 | 01:43 | comments(8) | trackbacks(0) | ↑TOP
      「サイバー話」その4
      0

        前回の続き…、「サイバー話」。

        たとえば大友譲二は、自分自身の頭と腕でレースを戦いたいタイプのレーサーなのに、なんでまたコンピューターなんかを駆使して走るサイバーフォーミュラレースなんかに出ていたのか…と疑問に思う。それは、たしか大友のセリフにもあったように思うんだけど「自分がどこまでやれるのかを試したかった」からで、結果サイバーフォーミュラではいい成績を残せず、あるレースの時、慣れないサイバーシステムをやむなく使うのだがままならず、果ては事故ってサイバーフォーミュラ引退…というわけで、向き不向きで言えば彼はサイバーフォーミュラレースに向いていなかった。
         

        まあオレと大友譲二を一緒にするのもなんだけど、向き不向きで言えばオレもアニメの仕事には向いていなかったんだろーなと思う。だけど、大友には自分自身の頭と腕で戦うオフロードレース・WRCがあったし、大好きな北海道の自然に包まれた牧場があってマリリン(牛)がいる。「新世紀GPX サイバーフォーミュラ」というのは文字通りサイバーフォーミュラレースを舞台としたアニメだから、大友の引退後の人生などの描写は有り得ないが、持ち前の前向きな姿勢や、自然の風に吹かれるようなのほほんとした生き方で充実した人生を送るだろうことが想像出来るね。

        大友のそういうところこそオレ自身とリンクするところだと今さらながら言いたいが、おこがましいかな。でも憧れるのは間違いないね。たとえ今歩いている(走っている)道を閉ざされても、あるいは自ら離れても、必ず歩く(走る)道は他にもある。自分が生きる舞台は決してひとつっきりじゃない。そういったことがサイバーの大友からは学び取ることが出来るし、もう大友が好きで好きでたまらないと言う大友マニアたちはもっと違う何かを学び取ったかも知れないね。

        現にあの頃のオレにはアニメの仕事は苦手でもCMの仕事があったし、現在に至っては実質声や体で表現する業界の仕事からは離れてしまっていても、それに匹敵するようなやり甲斐のある業界に身を置いていてしっかり生き甲斐を感じて生きている。だからオレは、たとえ何があってもしあわせな人間…と言える。これはオレの昔からの一貫した考え方。こういうのってホント、考え方次第だからね。他の誰が決めるものでもない。自分自身があたりまえに信じること。まさに「自分を信じろ!」ってか!? (笑) 知ってる人には懐かしいセリフでしょ?

        正直、本音をひとつ言うと、声の仕事でCMのナレーションには未練があるね。何故って?・・・だってギャラの単価がいーんだもん!(笑) 機会があったらまたやりたいが、今は自らその機会を作る機会が得難い状況なので…。それにやりたいからとすぐにやれるよーな甘い世界でもないしね。

        このサイバー話、けっこー長くなってるけど、あと次回もう一回だけね。




                            自分を信じろ!


        JUGEMテーマ:テレビ番組
        | 仕事 | 00:23 | comments(6) | trackbacks(0) | ↑TOP
        サイバー話 その3
        0

          しかしアニメのアテレコの仕事ってのは大変だ。

          オレがかつて時代劇の撮影現場の空気・雰囲気が好きだったよーに、その現場である録音スタジオの雰囲気が好きであれば、どんなに小さな役でもギャラさえいただければ楽しめるんだけど、どーもオレにはあの空気が体に合わなかったみたい。CMなどのナレーションのように一人でポツンとマイクの前に座ってやるほうがどんだけ性に合っていたことか…。

          でね、「サイバー」の大友役の仕事では、なんと、ラジオにまで呼ばれてしゃべらなければならなかった。なんかねー、オレ、他にいっぱいアニメに出てるわけじゃないし、楽しいエピソードなんて持ち合わせてないし、そもそもフリートーク苦手だし、要するにタレント性に欠けてる、単なる作品の「素材」でしかないのに、そんなオレなんかゲストに呼んじゃっていいの?! って思った。でもまあレギュラーではなくても大友役をやってる以上はそれも仕事…とがんばって臨んだよ。

          たしかあの番組は関西のみのOAだったと思うけど、収録は東京・赤坂のスタジオでだったと記憶している。20年も前だから具体的に何をしゃべったかなんて覚えてないし、たしか番組を録音されたテープをその時いただいて今もウチのどっかにあると思うけど、一切聞いてない。とにかくパーソナリティーの方が聞いて来ることに正直に答えればいいかって感じで、オレかなりつまらないトークをしてたと思うよ。パーソナリティーの女性、困ったんじゃないかな。「サイバー」に出てた他の有名な声優さんたちがゲストの時とはきっと感覚が全然違ったと思う。それはリスナーのサイバーファンの人たちも感じたんじゃないかな。

          そうそう、ラジオと言えば…あの頃、その「サイバーフォーミュラ」の主人公ハヤト役の金丸淳一クンと、たしか地下鉄銀座駅の地下通路の雑踏で偶然バッタリ出会ったことがあったんだよ。銀座駅だしめっちゃ人多いんだけど、金丸クン、身長高いから向こうから歩いて来るのがすぐにわかった。人ごみの中で彼の頭だけが出てるから。向こうも「あっ、大友さんだ!」…じゃなく、「あっ、富田さ〜ん!(当時オレは“富田晃介”と名乗っていたから)」とすぐにオレを発見し、しばしそこで立ち話。

          で、その時、少し雑談したあと「あ、じつはボク今あるラジオ番組やってるんですけど、今度富田さんゲストに呼んでいいですか?」と金丸クン。オレは自分をちゃんと知っていてそーゆーのに向いてないしリスナーの金丸ファンだって何者かわかんないヤツのつまんない話なんか聞きたくもないだろーから…と思ったけど、さすがにその場で「いや、オレはムリ」なんてつれない返事をするのもはばかられ、多分あいまいな返事をしたと思う。

          結果として、金丸クンがオレの気持ちを読んでくれたか、あるいは、たとえ金丸クンが「富田をゲストに」と提案しても制作サイドが「誰それ?」ってなことになったのかどーなのかは知らないがそれは実現せず、めでたしめでたし…ということに。

          一個前の記事でも書いてるけど、とにかくオレはアニメの仕事ではムダに緊張していつもムダに疲れてたんだけど、アテレコにしても歌にしてもラジオ出演にしても、どうしてかまわりにはオレがド緊張しているなどとは思われてないようなところがあった。いいのかわるいのか「マイペースだね」みたいな感じで。まあそれは強みと言えば強みなのかも知れないけど…ね。
           

          では続きはまたこの次に…。






          JUGEMテーマ:テレビ番組
          | 仕事 | 02:06 | comments(2) | trackbacks(0) | ↑TOP
          「サイバーフォーミュラ」の話(その2)
          0

            「サイバー話」前回の続き。

            実際このアニメ、視聴率は低かったみたいだねー。当時オレはそんなことは気にもせず仕事してたけど、それを最近ウィキペディアで知った。何でも当初は50話まで続くはずが、途中でスポンサーが降りたりもして結局37話で終了。だけどそのあとは毎年のようにOVAが作られて、異例のロングランヒット作となったらしいね。すごい!

            もっともオレにはその実感がまったくない。オレが声をアテた、レース中の事故をきっかけにサイバーフォーミュラを引退した大友譲二は、コンピューターなどに頼らずに走れる得意のオフロードレース・WRCに転向参戦したとかで、最初のOVA「ダブルワン」にレポーターとしてちょこっと出て来ただけだしね。オレとしては不完全燃焼。「なるほどこれがアテレコの仕事というものか」ということがわかるまで行かなかったからね。

            同時期に同じ制作会社の作品で「太陽の勇者ファイバード」ってゆーのに出演させていただき、これもシリーズ中何回か出て来るだけのゲストキャラで2人組のトンマなドロボーの弟分「五郎」の声をやっていたけど、やっぱり大勢でやるアテレコのスタジオではムダに緊張して持てる力を充分に発揮出来なかった気がする。…そう、ムダに緊張しなければもうちょっとマシに出来て、もうちょっと充実感が得られたかも…。ヘタクソという事実をちょこっと曲げてそゆことにしといて。(笑)

            ヘタクソついでに大友譲二では歌まで歌っちゃったからもうヘンタイ…いや、大変。(笑) まさかこんなことになるとは…。当時はとくに歌なんか勉強してなくて、カラオケでさえも今ほど行ってなかった。「サイバー」では多分5曲くらいレコーディングしたと思うけど、果たして人に聞かせられるのか…けっこう不安だったがもうやるしかなかったね。人前で歌うわけじゃないし、ま、やれば出来るさってね。そのくせアドリブで掛け声入れたり口笛拭いたり、ダイナマイト・シゲさんのサンプル曲を少々オレ風に勝手にアレンジさせてもらったり、自分的には楽しませていただいたけどね。

            でもね、大友ファンはほんっとにいい子たちばっかりで、中にはオレの歌聞いて「感動して涙が出て来ちゃいました」なんて手紙をくれる人もいたんだよ。マジかぁ?!って感じだったけど、逆にそれは信じないと失礼だよね。はい、素直に喜びました!(笑)

            さらにさらに、トークも苦手なこのオレ。なのになんか関西でOAされてたラジオ番組にゲストに呼ばれたこともあったなー。その話はまた今度…。






            JUGEMテーマ:テレビ番組
            | 仕事 | 01:01 | comments(2) | trackbacks(0) | ↑TOP
            「サイバーフォーミュラ」の話
            0

              オレにしては超〜珍しいアニメの話をしてみよーかな。

              先日、前記事にいただいたなおさんのコメントがきっかけで、ずーっと前に仕事でアテレコをやったTVアニメ「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」を懐かしく思い出したもんだから。

              もう20年ちょっと前のことだけど、オレはそのF1の未来形レースを題材にしたTVアニメで、18才で北海道で牧場をやっている自然児レーサー・大友譲二の声をアテさせていただいたんだけど、いやー、あの仕事、いつもキンチョーしてたなー。仕事には緊張が付きものでそいつは必要なものなんだけど、言ってみればあの時のは「いらない緊張」。

              正直あの時、まさかオレにこんなかっこいいキャラクターの仕事がまわって来るなんて思ってなかったし、「ホントにオレなんかがやっていいの?」って思ってた。単独でやるTVやラジオのCMナレーションと違って、いろんな事務所からの名立たる声優さんたちが集まって来て一緒にやるわけだから疲れるのなんのって…。

              オレはどっちかってゆーと単独の仕事のほうが好きで、「アニメ的しゃべり」ってのにも慣れてなくて、大勢で入るスタジオの空気ってゆーか雰囲気にもなかなか馴染めず、とにかくしんどかったね。ナイト・シューマッハ役の同じ事務所の速水奨ちゃんがいてくれたのは大いなる救いだったね。

              でもプロデューサーさんに「あなたは変わったおもしろい声をしてるから」とオレを大友役に選んでいただいた理由を聞いて、それはやっぱりうれしくて、みんなの足を引っぱっちゃいけないと一生懸命がんばったよ。

              でもね、その大友譲二というキャラは毎回必ず出て来るわけじゃなく、だからなのかも知れないけど、なかなか余裕を持って仕事が出来ず、キャラにハマってキャラを生かし切ることが出来なかったと、シリーズが終わって反省してたんだよね。オレの声でいいんだってプロデューサーさんに言われたんだからもっと自信を持ってやればよかったってね。今だから言えることだけど。

              だけどオレ、ホントにいい作品に巡り会えたって感謝しているよ。サイバーフォーミュラレースってゆーのは「サイバーシステム」とゆーコンピューターシステムを駆使して車を走らせレースするものだけど、自然児・大友はとそれをほとんど使わずにレースをするヤツで、「それじゃダメじゃん」「サイバーフォーミュラレースに出る意味ないじゃん」て感じだけど、それでも「自分自身の頭と力で走りたいんだ」とがんばる…。それって、じっさいそうなったけど、サイバーレースからは絶対脱落するものの、人間にとってはものすごく大事でステキなことだとオレは思うんだよね。言ってみれば大友は人間の基本的生き方を教えてくれたってゆーか…。

              で、大友譲二というキャラクターが大好きだというファンはみんな、まさにそこをわかっているとゆーか、自分がやりたいことを自分で決めて自分で行動する人が多いんじゃないかって思う。あるいはそう願う。TVシリーズOA時、「サイバー」を見ていたのはほとんど当時中高生だったんじゃないかって思うが、きっと漠然とでもそういうことを感じていたような…。そしてそれが大人になった今の生き方に反映されてるような気がする。そう思い願う。

              大友ファンってマニアックなんだよね、きっと。「大友さんが好き」ってオレにファンレターをくれたりしてさ。(笑) でもオレ自身が大友譲二ってゆーキャラが大好きだったからそーゆー手紙もらってすっごいうれしかったよ。

              あっ、もう朝の4時まわった! まだもうちょっと話し続きそーだけど、続きはまた次にするワ。とりあえずオレ寝るんで。
              おやすみなさい…。






              JUGEMテーマ:テレビ番組
              | 仕事 | 03:58 | comments(2) | trackbacks(0) | ↑TOP
              「暴れん坊将軍」のこと
              0

                京都の撮影所でテレビ時代劇がほとんど作られなくなってずいぶん経ちますが、

                朝、テレビ朝日で「暴れん坊将軍」が先日まで再放送されていたのを時々観ていました。もう今は「大岡越前」に変わってますが。

                そんなことから今回は、その昔、オレが京都の東映撮影所などでほんのしばらくですがスタントや斬られ役の仕事にたずさわらせていただいていた時の何となく思い出すことを、とりとめなく綴りたいと思います。話はあっち飛びこっち飛びしますが。


                オレにとって懐かしい「暴れん坊将軍」…と言っても先日まで再放送されていたのはシリーズVIII で1997年に制作されOAされたもの。

                オレにとって真に懐かしいと言えるのはもっと前の、この番組の一番最初の「吉宗評判記・暴れん坊将軍」ってゆー、1978年1月7日〜1979年5月2日にOAされたヤツです。

                当時20才くらいのオレは、宍戸大全師匠率いる宍戸グループ(現・森山陽介アクションチーム)の一員で、東映京都撮影所俳優会館の4Fにある道場で剣会の先輩方に殺陣の稽古をつけていただいてたんですが、時々暴れん坊の主役の松平健さんも来られて木刀を振っておられました。松平さん、当時20代半ばくらいでした。

                ちなみにその時の将軍の手足となって働く忍者・お庭番役はあの、仮面ライダーV3、秘密戦隊ゴレンジャーのアオ、快傑ズバットなどの宮内洋さんと、今もとってもお美しい夏樹陽子さんでした。

                余談ですが、オレが上京してしばらくした頃、渋谷駅の道玄坂側の交差点を渡った時、前方のガードレールに妙に自然にカッコ良く腰掛けている男前がいて、よく見たらそれは何と宮内洋さん! 思わずオレは「お久しぶりです!」と声をかけてしまいしばし雑談。

                で、何故かその時住所交換などしていただいたみたく、その後年賀状を出したり、何かの案内状をいただいたりしたのを思い出しました。

                ただ、あとで思ったのですが、なんで宮内さん、あの時渋谷の交差点のガードレールに一人座っていたのか…。あれって、もしかしたら何かドラマの撮影中だったんじゃ…。ほら、よくあるでしょ。街の交差点の雑踏の中を歩く刑事。それをどっかのビルの上から俯瞰で撮ってる、そんなシーン。

                まあ雑談してくれたんだから本番前のスタンバイ中とかだったんだろうけど、イヤー、横断歩道上を歩いてる時に声かけなくてマジよかったです。それだと多分本番中だから。

                で、暴れん坊将軍ですが、

                そんなことを思い出してたら増々懐かしくなって来て、オレが一番最初に「暴れん坊将軍」の撮影に関わったのはいつだろうと、当時のスケジュール手帳を引っぱり出して(17才で一人暮らし始めた頃から書いてたんですよ。けっこういいかげんな書き方なんですけどね)見てみると、

                1978年3月1日(水) に「8:00出発 暴れん坊将軍(河野組) 亀岡ロケ……中止」…とありました。雨でも降ったんでしょーか。その日はどんなスタントをやるのか、誰かの吹き替えなのか、それともチャンバラか、エキストラ的な仕事なのか、細かい情報は何も書いてませんでした。いいかげんでしょ?

                ちなみにその翌日は「9:00 大岡越前(山内組) No.18セット」、さらにその次の日が「9:00 桃太郎侍(山下組) オープンセット、17:00 銭形平次(伊沢組) 大覚寺ロケ」などとあり、さすがにあの時代、まだまだテレビ時代劇もけっこう作られていて、忙しい日々を送ってました。

                で、結局「暴れん坊将軍」の撮影にオレが最初に実際に関わったのは、手帳によると翌月4月4日(火)、「河野組 12:30出発からすの森ロケ、18:00 ナイトオープン」ということで、ロケでは“捕り手”で立ち回り、ナイトオープンでは“め組”…となっていました。

                *河野組や山内組の「○○組」というのは、その作品のその回の監督さんの組…という意味で、「オープンセット」というのは屋外にあるセットでの撮影で、映画村のことを指します。
                *からすの森ロケ…これは正しくは「糺(ただす)の森」のことで、下鴨神社境内にあるすごく雰囲気のある森。なんで「からす」と書いたのか自分でもわかりません。(笑)

                話があっちこっち飛んじゃって、しかもそれほどおもしろくもないかも知れませんが、放っておくといくらでも書いてしまいそうです。誰も止めてくれないし、ここらで自分で止めることにしますね。(ま、オレのブログだし、いいか…笑)

                では、おやすみなさい。


                 

                JUGEMテーマ:日常
                | 仕事 | 23:49 | comments(2) | trackbacks(0) | ↑TOP
                ああ…相沢秀禎さん(その2)
                0
                  さて、前記事のつづきで、先日亡くなられた、芸能プロダク
                  ション・サンミュージック会長の相沢秀禎さんにまつわる
                  エピソードですが、

                  まつわるエピソードと言っても、前記事にも書いたように
                  オレは相沢さんには直接お会いしたことはなく、しかし何故
                  かお亡くなりになって妙に悲しく、不思議な感情になった
                  ものだから、何となくつらつらと文章を綴っています。

                  オレは余程冷血漢に出来ているのかどうなのか、自分の知っ
                  ている人が亡くなっても、正直言ってそれほど悲しみという
                  ものを感じず、「ああ…、あの人にもついに“この時”が
                  訪れたのか…」と、ただただ神妙に冥福を祈ることが多い
                  のです。

                  いや、もちろん涙することだってありますよ。自分の祖父母
                  の時はあとになってめちゃくちゃ悲しみがこみ上げて来ま
                  した。

                  肉親以外では、これはもう何と言っても、長年所属させて
                  いただき、ものすごくお世話になりました大沢事務所の
                  大沢社長の時です。

                  「あぶない」と聞いた時は心の中で必死に「社長は大丈夫!
                  絶っっっ対に復活する!」…と念じ、祈りました。
                  しかし、結局訃報を聞くこととなり、

                  たしかそれはどこかからの帰り道、歩いている時に、事務所
                  のスタッフからケータイに連絡が来たのですが、それを聞い
                  たとたんに涙が湧き上がり、止めどなくあふれ出し、嗚咽し
                  ながら歩いて家に帰りました。

                  そして家で号泣…。

                  大沢社長。早い…、早過ぎです。どうして…?
                  まだまだもっとお世話になり足りません。ご恩返しだって
                  していかないといけないのに…。

                  …そんな感じでした。


                  さすがに面識のない相沢さんの場合はそこまでではありません
                  でしたが、冒頭にも書いたように、何か不思議な悲しみを感じ
                  ました。

                  で、とてもお世話になった大沢社長の事務所に所属していた
                  時に、あのアイドルブームの頃、超人気アイドルだった、サン
                  ミュージック所属の岡田有希子ちゃん(当時18才)のニューアル
                  バムのラジオスポットのナレーションをさせていただいたり、
                  東芝のテレビCMでは有希子ちゃんと一緒にスタジオで録音
                  する機会があったりしました。礼儀正しく、すっごく可愛い、
                  素敵な子でした。

                  そんな彼女がまもなく、当時、四ッ谷三丁目の交差点角にあっ
                  たサンミュージックのビルの屋上から飛び降り自殺するとは…、
                  これも泣きこそはしないものの、ものすごくショックを受けた
                  出来事でした。

                  …と、今回は、すみません、悲しいエピソードになってしまい
                  ましたが、サンミュージック相沢会長の訃報を聞いてからつい
                  ついそんなようなことが思い出されたもので…。

                  あらためて、
                  相沢会長、そして我が大沢社長、そして岡田有希子ちゃんの
                  ご冥福をここにお祈りいたします。



                  JUGEMテーマ:日常
                  | 仕事 | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
                  ああ…相沢秀禎さん
                  0
                    とりとめのない、少々長文になりますが…。

                    たとえば芸能人など、著名な方が亡くなられるとテレビなどで
                    報道され、我々はテレビや何らかの作品でしかその人を知らな
                    かったとしても、その人への好感度や思い入れによって様々な
                    反応をしてしまいますね。

                    先日亡くなられた芸能プロダクション・サンミュージック会長
                    の相沢秀禎さん…、もちろんオレはお会いしたことなどありま
                    せんが、

                    何故かオレは、一方的にですが親しみのようなものを感じて
                    いて、妙に悲しく、無念と言うか、何と言えばいいのか、
                    不思議な思いがしました。何なんでしょうねー。

                    相沢秀禎さんという方の存在を知ったのは、相当昔のこと、
                    オレがまだ小学生の頃。当時大人気の芸能雑誌と言えば「平凡」
                    とそして「明星」でした。

                    おもしろいもので、人気のあるものにはたいていそのライバル
                    というものが存在するんですねー。

                    「平凡」VS「明星」のように、映画雑誌と来れば「スクリーン」
                    VS「ロードショー」、コーラと言えば「コーク」VS「ペプシ」
                    というふうに。ちなみにオレは「平凡」派、「スクリーン」派、
                    そして「ペプシ」派でした。今でもコーラはペプシネックスです。

                    あ、話を戻します。

                    で、オレは小学生の頃から「平凡」を買って読んでいたんですが、
                    その中に必ず芸能プロダクションの歌手・タレント募集記事が
                    あって、毎号、相沢社長(当時)のサンミュージックが載っていま
                    した。相沢さんの優しい笑顔の写真とともに。

                    今も昔も、とくに若年期の多くの人がそうであるように、テレビ
                    や映画を見、ああいう雑誌を見たりしていると、芸能の世界と
                    いうものに憧れを抱き、中には実際にその世界に足を踏み入れ
                    ようとチャレンジする人もいますよね。まあ、オレもその一人
                    だったわけですが。

                    で、最初の頃はその相沢社長のサンミュージックも身の程知らず
                    にも選択肢のひとつでした。と言うか、他のプロダクションほと
                    んど知らなかったんですね。サンミュージックは特段目立って
                    ました。

                    しかしただ好きなだけで、特に歌が上手でもなく、歌に情熱を
                    燃やしていたわけでもないオレは、結局サンミュージックには
                    チャレンジせず、その後全然違うルートから入って京都の東映で
                    斬られ役やスタントの仕事をするようになり、

                    そこでサンミュージック所属の、決して歌は上手いわけでもない
                    が味のある歌唱をされる、底なしの熱血俳優・森田健作さんと、
                    映画やテレビ時代劇でご一緒させていただく機会が何度かあり
                    ました。

                    オレが中学生の頃、あの「おれは男だ!」で大人気だった方
                    (現・千葉県知事)です。森田さん演じる硬派の主人公・剣道部
                    主将の小林弘二が、早瀬久美演じる同級生の吉川操をカン高い
                    声で呼ぶ「ヨシカワくんっ!」…に、本名・吉川のオレは勝手
                    に親しみ感じてました。(笑)

                    だからと言って京都の撮影所で親しくしていただいてたわけ
                    では決してなく、でも撮影の合間に雑談などする機会もあり、
                    その時に何となく話の流れでオレが「もうすぐ東京に行くん
                    ですよ」と言ったら森田さんが、「東京なんか行ったって
                    大変なだけだよ」というようなことをおっしゃったのを覚えて
                    います。

                    オレ自身まだまだ若くもあり、とにかく演技を勉強する必要性
                    を感じてもいたので、それによってオレの決意が変わることは
                    ありませんでしたけどね。

                    多分、森田さんとしては、その時点でオレは撮影現場に出て
                    いるわけだから、オレは恵まれており、何も現場を離れて競争
                    の激しい東京なんかに行くより、このまま京都にいて勉強する
                    ほうが得策なんじゃないか…というような意味で言われたんだ
                    と思います。

                    …と、また話を戻しますと、

                    それが相沢社長のサンミュージックの秘蔵っ子俳優、森田健作
                    さんとの小さな小さな関わりのエピソードのひとつです。

                    エピソードのひとつ…と言うとまだ他にもあるのか?…と思わ
                    れるでしょうが、一応、あります。

                    それも今書くとまた長くなるので、またそのうちに…という
                    ことで、今回はここまで。



                    JUGEMテーマ:日常
                    | 仕事 | 01:09 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
                    PROFILE
                    CALENDAR
                    S M T W T F S
                      12345
                    6789101112
                    13141516171819
                    20212223242526
                    2728293031  
                    << August 2017 >>
                    OMOUKOTO(思うこと)
                    つぶやきはあくまでつぶやきであって、それがたとえつぶやいた本人の本心であっても、「あー、腹減ったなー」程度のレベルのもので、他人を巻き込んだり、何か重要なことを決定するものでもなければ、真剣に受け取らなければいけないものでもない。だが時につぶやきは、そのつぶやき方によっては、それを聞いた者にとてつもない不快感や災いを与えたり、傷つけたりすることがある。ともすれば、人を死なせてしまうことさえも…。つぶやきはわざわざ他人に聞かせるものではない。一人でボソリと口にすればいいものだと思う。20170201
                    ENTRIES
                    新着コメント
                    LINKS
                    CATEGORIES
                    ARCHIVES
                    MOBILE
                    qrcode
                    オススメ♪
                    PR