狼はブラックコーヒーが好き

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生きた年の数にビックリ!
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    オレは多分、ある時期から今まで「年齢観念」というものを持たずに生きて来たんだと思う。何しろ、もうすぐ新しい年が来るが、その新しい西暦の数字から自分の誕生年の数字を引いてみてビックリしたのだ。

     

      えーー!オレ今1985才 ?!!

     

    いやいやいや、ちょと待ったちょと待った、西暦の数字から元号の生まれ年の数字引いてど〜すんだよ、ねえ。(笑)

     

    まあ、冗談はさておいて…。しかしまともに計算してもそれでも、

     

     「エェッー!! 

      オレってもうこんなに生きて来たのかぁっ?!」

     

    って、あらためて驚くのだ。どうにも実感がなくて…。

     

    そしてオレはかつて…そう、多分…十代の終わり頃…、

     

    「ジェームズ・ディーンは24才で死んだけど、オレなんかはきっとその倍は生きちゃうんだろうな。ジミーはあっという間に偉業を成し遂げて、早いうちに“命の力”全部使っちゃったんだもんな」


    と思っていた。そして「オレの人生はせいぜい50年くらいあればいいや。その間にジミーほどじゃなくても何かちょっとでも誰かに何らかの影響を与えられるようなことが出来たら…」とも。


    ところがどうよ…、オレがやって来たことと言ったら、ただただ時の流れに身を任せ、その時その時に出会ったもの、巡って来たものをおそらく本能的にセレクトし、やるべきこと・やりたいことと判断したらそれを、情熱的にでもなく猛烈にでもなく、自分が出来る範囲で、でも必要に応じてはがんばって、成り行き任せにやって来た程度。

     

    やってて合わないものはそれなりにがんばって克服することもしたが、どうしても合わないものはやめたり捨てたりもした。無理をするのは嫌いだから。

     

    ジェームズ・ディーンは生前、またその生の最後の瞬間にどう思ったか知らないが、オレは現時点で、あえて言えば波瀾万丈いろいろあったが、自分の人生の今までの流れをとても気に入っていてしあわせだと思っている。常にオレはしあわせなヤツだと思って生きているのだからそう言えるのも当然だろう。オレはそんな自分が好きだしね。(ここで「オレはナルシストだから」と書こうとしたんだけど、言葉の意味をよくよく調べたら、どうもそれにはちと当てはまらない気がしたよ。せいぜい「ナル」ってところか)

     

    で、オレが昔「こんだけでいいや」と思った人生年数をいつの間にかけっこう超えてしまった今、「オレは何かを成し遂げたか…?」と自問してみたが即答「No」と出た。つまり、オレは今、常に何らかのことを成してはいるが遂げてはいない。

     

    いや、その言い方も果たして正しいのかどうなのか…。たとえばオレ自身は「ジェームズ・ディーンは若くして偉業を成し遂げて逝った」「オレたちに素晴らしいレガシーを残して行ってくれた」と思っているが、ジミー本人はもしかしたら「まだ違う」「こんなんじゃない」「もっと出来るはず」「まだまだやれるんだ」と思ってメッチャ残念無念だったかも知れないのだから、スケールの大小はどうあれ、オレについてはまだ生きている今決めることじゃないし、自分自身で決めることでもないのかも知れない。

     

    とにかくオレは、天はまだオレを逝かせてくれず生かしてくれてるってことは、まだまだやれること、やるべきことがあるんだろうと勝手に思うのだ。ジミーにとっての「映画」がそうであったように、もしかしたらオレにとっては今やっている仕事がそうなのかも知れないし、あるいは仕事以外のことも含めてすべてが「人生の仕事」として自分が成すべきことなのかも知れない。そしてそれは今までもやって来たのだろうし、これからもやり続けて行くことなのだろう。

     

    そんなこんなを考えると、昔「50年でいいや」と思っていた人生は、それではとても足りないなと感じるようにもなって来た。つまり、オレはドーンととても大きなことをやっているわけではないから、のんびりじっくりゆっくりコツコツやるには結局「時」が必要になるわけだ。

     

    また、小さなことだからと言って、そのやった結果をわざわざ集めて大きくしようとする気など毛頭ない。「その瞬間」「その時間帯」が良いものであれば。いずれにせよそれは何らかの形で勝手に蓄積される。

     

    年齢観念を持って生きるのはオレにはとっても煩わしい。「今何才」「もうすぐ何才」なんて言うのはめんどくさいのだろう。だから今までほとんど意識せずに来たのだろう。オレにとってはそれは「年齢」と言うのではなく「あらためて思えばこんだけ生きて来たんだなあと思う単なる年の数」あるいはそういう「年の量」とでも言おうか…。だからあえて口にするものでもなく、聞かれてもすぐに思い出せないものなのだ。何かの書類に書く必要がある時もスラスラと書けない。思い出すのに時間がかかる。

     

    何年生きても自分は未熟だと思う。あの、オレに「独立心」が芽生えた十代半ばの頃との違いがそれほどわからない。そしていつかそのうちこのまま今生を終えるのかも知れない。いや、「熟す」ってどういうことなのかすらわからない。

     

    自分でも笑ってしまうが、多分十代の終わり頃に自分が書いた詞の一節に「この命、好きで生まれたこの世じゃないが、せめて燃やすさ尽きるまで」というのがある。まさにその通り、ただただ生きる。いろんなことをしながら生きる。瀬戸内寂聴さんの言葉をお借りすれば…切に生きる! でも無理せずのんびり楽しみながら…ね。

     

    さてさて、オレはあとどのくらい今生を生かされるのだろう。

     

     

     

     

     

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      OMOUKOTO(思うこと)
      つぶやきはあくまでつぶやきであって、それがたとえつぶやいた本人の本心であっても、「あー、腹減ったなー」程度のレベルのもので、他人を巻き込んだり、何か重要なことを決定するものでもなければ、真剣に受け取らなければいけないものでもない。だが時につぶやきは、そのつぶやき方によっては、それを聞いた者にとてつもない不快感や災いを与えたり、傷つけたりすることがある。ともすれば、人を死なせてしまうことさえも…。つぶやきはわざわざ他人に聞かせるものではない。一人でボソリと口にすればいいものだと思う。20170201
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