狼はブラックコーヒーが好き

ブラックコーヒーみたいなブログ…かな? 飲みたい人は飲むだろうし、そうじゃない人は飲まない…。 たまには砂糖やミルク、入れることもあるかもね        

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# サプライズはハッピーに

世の中は「驚き」で満ち満ちている。

 

トランプがアメリカの大統領になってしまったこともそうだが、それよりももっともっと我々の身近なことでも数多くある。

 

そのうちのひとつ、

 

先日、神宮外苑で行われたアートイベントで、木製のジャングルジムを大鋸屑(おがくず)で装飾し、その中に投光器を入れておいたところ火災が起こり子供が一人亡くなっちゃった痛ましい事件…。

 

それを受けてテレビ各局、その原因を探る実験をし放送していた。

 

たとえばクローゼットの中、天井のダウンライトに収納物(衣類だったり布団だったりペーパー類だったり)がライトにかぶるくらいに詰まっていて、もしそのライトが点いていた場合、それは外からはわからない。そして中では、ライトは時間が経って高熱を発し、それによって発火し火災となる可能性が大いにある…

 

というようなものがあったが、さらにそれを聞いてある主婦がテレビのインタビューで、

 

「えーー?! ダウンライトでそんなことに?! ちょっとびっくりですねえ」

 

などと答えていた。

 

驚いた!! こっちのほうがビックリだ!

 

そんなのちょっと考えればわかるだろーに。いや、今さらわざわざ考えなくても知ってて欲しい。


これを驚かずして一体何を驚ろこう!! こうなりゃお化けが出たってビックリしない。まったくこわくない。それよりもこういう人の存在の怖さと言ったらその比じゃないね。

 

こういう人が一体どんだけいるんだろう。想像力のない人、あるのにちっとも使わない人、物事を考えるということをしなくなった人が…。

 

だから世の中事件が多いんだ。だからあちこちで事故が起こるんだ。そこここにトラブルが転がっている。…と思わざるを得ない。あたりまえのことがみんなわからなくなってしまっているのか…。

 

サプライズはハッピーなほうでお願いしたい。つくづくそう思う。

 

 

 

 

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# スマホは人を殺すこともある

続けて今回も「歩きスマホ」の話。

 

彼らにとって「命」って一体何なんだろーね。…と、つくづく思う。

 

ここで言う彼らとは「歩きスマホをする人たち」のこと。

 

こないだテレビのニュースで、
夜、歩きスマホをしている女の人がだんだん道をそれて行ってドボンと川に落ちる映像を見た。

 

一瞬「わっ、大変!」と思ったが、そのあとの「女性は川から引き上げられ病院に運ばれましたが、その後死亡しました」というナレーションを聞いて思わず笑ってしまった。

 

人が亡くなって笑うとは何事か…ってなもんだが、


なんで目に見えてヤバイってわかってることをわざわざやるの?! バッカじゃないの! 情けない…、とにかく、「やっちゃいけないこと」をあたりまえのようにやって自らバカを見ているその愚かさに対する苦笑とでも言おうか…。常識人なら有り得ない事故なワケだし。

 

たとえばこれも最近あった、ポケGOやりながら車を運転して人を撥ね殺してしまったとか、ただ人とぶつかった、ぶつかりそうになったってのも同じ。やっちゃいけないことをやって人をおどかしたり迷惑をかけたり、また、人を死なせ、自分も破滅。家族やまわりの人々も悲しませている。

 

それが自分の命を失うにしても他人の命を奪うにしても、やっちゃいけないことをやってさえいなければ起こり得ないのだから、愚かとしか言いようがないね。

 

自分のも他人のも「命」は粗末にするもんじゃない。

 

「歩きスマホ」じゃなくても、たとえば朝の通勤時、電車の中でまわりを見れば、恐ろしくなるほどほとんどの人がジーッと手にしたスマホを見ている。そしてこの中のほとんどの人が電車を降りてもそのまま歩くんだろーナと想像できるが、そういった人たちが図らずも人を死なせたり迷惑をかけたり、あるいは自滅に向かっている予備軍だと思うとゾーーッとするね、ホントに。

 

たまたまこれを読んでくれているあなたが、もしかしてもしかするとそういう人だったらメッチャ残念。悲しい。そうじゃないよね。ちゃんとわかってるよね。

 

スマホは今や大事なツールだけど、スマホなんかに心も体も支配されないで。

 

 

 

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| comments(3) | trackbacks(0) | 02:28 | category: 思うこと |
# 「歩きスマホをやめよう!」キャンペーン?

「歩きスマホをやめよう」キャンペーン実施!

 

…だそーだが、

 

一体どーゆー方法でするんだろーか。

 

そもそも歩きスマホをしている人のほとんどは、まわりを見ていない、人の声を聞いていない。スマホ以外に無関心。ということはポスターは見ない、アナウンスしてもダメなわけで、「見る」目を持たない、「聞く」耳を持たない、その「心」もない…ってことだから。

 

さて、どういうキャンペーンをしよーってのかナ? どうすれば彼らに伝わり、効果を得られるんだろーかネ。

 

 

 

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| comments(0) | trackbacks(0) | 13:47 | category: 思うこと |
# バスもバスなら人も人

仕事上よく利用するバス停がある。
その停留所は交差点のチョイ手前、軽いカーブのところにある。だから、対向車とのすれ違いがかなり困難なため、バスはいつもバス停に停まらず、そのちょっと手前の少し離れたところに停まる。最初は戸惑ったがすぐに慣れた。それからはいつも乗車ドアが来る位置で待つようになった。

 

しかし不思議なのは他の人々。
おそらく地元の人だろうが、何故かいつもバラバラの位置で待っている。バス停の位置でもなく、実際にバスが止まる位置でもなく、ちょっと広くなっているその辺に点々と立っている。その心理は勝手にはいくらでも想像はできるが、インタビューなどしないので真意はわからない。

 

そして今日…、
仕事が終わってバスで帰るためにそのバス停に行った。その時、バス停から約1メートル離れたところに女の人が一人いて、さらに人二人分くらい離れて男の人が一人立っていた。雨が降っていた。オレがそこへ行くとちょうどバスが来るところで、オレは傘を閉じながらいつも乗車ドアが来る位置に立った。バスが来てオレの前に停まった。

 

だがドアが開かない…。
運転手がマイクで「先頭の方からご乗車ください」と言った。「あたりまえでしょ。だから早くドアを開けてよ、雨降ってんだから」と思った。するともう一度「先頭の方からご乗車ください」と言いながらやっとドアが開いた。「言われなくてもわかってるよ」と思いながらオレはすぐ目の前の開いたドアから乗車した。

 

雨が降る中…、
スムーズにバスに乗り込めるように前もって傘を閉じて待っているのに、スムーズにドアを開けてくれないなんて意地悪な運転手だなと少々ムッとした。

 

ちょっと気分を害されたが、
運転手はどうやらオレが先頭だとは考えていなかったと推察できる。オレはオレが先頭だと思っていたから普通に先に乗った。そこらに点々と立っていた女の人も男の人も、その余裕は充分にあったにもかかわらず運転手の言葉に従わず普通にオレのあとから乗り込んで来たのだから、自分が先頭だとは思っていなかったと思われる。オレからすれば彼らはバスを待つために並んでさえいなかった。

 

オレは…、
バスはバス停に停まらないといけないと思う。そこが不都合で、やむを得ずいつもズレた場所に停まるならそこをバス停にしないといけないと思う。一度、バス停からズレたいつもの停車位置でオレが待っていると、何故かバス停の位置にバスが停まったことがある。いくら「その時は信号の都合やすれ違う車がなかったから」という理由からだとしても、バス会社(横浜市バス)がそんな不安定なことをしてくれては困る。安定させてくれないと利用者側は混乱する。

 

そしてバス停に並ぶ人も…、
並ぶんなら先頭がしっかりとわかるように、それに続く人たちは無闇に間隔を空けずにちゃんと並ばないといけないと思う。駅のホームでもそうだが、並ぶのが好きな日本人のくせして、無駄に間隔を空けたりまっすぐじゃなかったりと、並ぶのが本当にヘタクソだと思う。オレは並ぶのが大嫌いだが、並ばなきゃならない時はちゃんと並ぶようにしている。だけどまわりがみんな違うからどうにもやりづらい。

 

 

 

 

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# いろいろ病院、大丈夫?

横浜市の大口病院での点滴殺人事件のニュースが連日流れている。入院棟4階で短期間に40人以上の入院患者が亡くなっているという異常事態。

 

先日見たニュースで入院患者の家族がインタビューに答えて、「病院の人はみんないい人。本当にいい病院ですよ」と言ったそのあとに「こうやって事件が起こって思い返せば、点滴の準備なんかどっかそこら辺でやっていて、あれじゃ誰でも何かしようと思えば簡単に出来ちゃうね。大丈夫なのか?ここの管理体制は…と女房とよく話してましたね」と言っていた。

 

たしかにそこで働く人たちはいい人たちなのかも知れない。だからと言って、そこがいい病院だとは限らない。オレなどは、ひとつおかしなことがあると「他の部分は大丈夫なのか?」とどうしても思ってしまうのだが。病院などの大きな責任を抱えるところだととくにね。

 

以前このブログで「喫煙天国病院」として紹介した、オレが仕事で定期的に通う、同じく横浜市にある精神科の病院も、一番最初に行った時から驚愕のシーンを目撃し、「大丈夫か??ここ」と思った。

 

どういうつもりなのか外来入口扉の真ん前が喫煙所になっていて、患者さんたちがたむろしてスパスパやっており、タバコのケムリとニオイに満ち満ちていたのだ。それは入口の扉が開閉される度に中の待合室に流れ込んで来て、「病院なのに、しかも多くの患者さんなどが出入りする場所なのに…」と大いに疑問を持った。

 

その件を意見箱に何度投書しても無反応。副院長(?)に直接話をしても「今はタバコの吸える病院は他にはなかなかないからねえ」とむしろ自慢気だったのにもびっくりした。

 

それからずいぶんしてからそこの灰皿が、出入り口からほんのちょっと離れたところに移動されたが、問題はニオイやケムリだ。密閉などしてないから漂いまくり、まったくと言っていいほど効果なし。

 

ついでに入り口扉の内と外に、お年寄りや足の悪い患者さんのために(と思うのだが)スロープが作られたが、入り口の重い扉が邪魔をしてとても通りづらい。おまけに「反対側(スロープのない側)の扉を開けてお通りください」みたいな張り紙が! それじゃ今度はスロープへの段差を上がり下りしなければならない。まったくスロープの意味なし。

 

これら以外にも、院長(?)のある患者さんに対する言動に関する疑問や、院内薬局の患者への応対の仕方に関する疑問などもあったりするんだけど、さらに長くなるので省略。

 

ホントのホントにこの病院、大丈夫なのか?! と思っていたら、先月にはあろう事かこの病院でも殺人事件が起こった。

 

こちらは入院患者さん同士のトラブルによるもので大口病院のとはちょっと違うかも知れないが、いずれにしてもあるまじき出来事。

 

ただオレには、前述したような疑問だらけのところだけに、ここなら何が起こっても不思議はない、むしろ起こらないほうが不思議なような気がしていた。まさか「人死に」が…とは思ってなかったが、いろんな細かいところがちゃんとしていないのでは、その積み重ねによって問題は発生しやすくなり、それくらいの大事に発展してもおかしくないのかも知れない。

 

病院はHPに「ご報告」という形で「……事故発生の防止、対策などの鋭意努力を図っており、当日、法律に則った看護体勢をとっておりましたが、それでも生じてしまった、……非常に遺憾…ご迷惑をおかけしていることに心より申し訳なく思っております。……」と出しているが、「あくまで患者間のトラブルで、ウチには責任ありませんよ」的な印象を受ける。

 

いくら法律に則ってやっていてもそれはあたりまえのことで別に褒められることじゃない。大切なのはそれ以外にある。病院業務はそれは大変なことで苦労も多いのだろうが、人としてもっと基本的・根本的な何かがないといけない気がする。

 

患者は病院を信頼して命を預けている。病院の人々はその命を預かることによっておまんまをいただき自分の命を保っている。命が宿るかたまりが「人」なわけで、それは自分の命を保つための「人」。

 

もちろん「人」のステージは病院だけじゃない。オレたちが生きて動いているすべての場所がステージなのだから、やっぱ誰にとっても「人」って大事なんだよなー…って思う。

 

 

 

 

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| comments(2) | trackbacks(0) | 19:54 | category: 思うこと |
# 近頃のコーヒーショップって…

例によってそこそこ長いし。とくに重要な話でもなくペラッペラのこと書いてるだけだから、よっぽどヒマじゃなきゃスルーしてくださいね。

 


休日には思いっきり声を出したくて、わりとよく一人カラオケに行くのだが、時には気に入りのジョイサウンドの部屋が空いてないこともある。

 

今日、そうだった。1時間半待ちだそうで、「じゃあその時間にまた来るね」と予約して、久々にスタバに入ってコーヒーを飲みながら仕事に関するノート書きをして時間を過ごすことにした。


しかし、やはり最近のスタバは落ち着かないねー。場所柄、客層、時間帯などいろんな条件にもよるのだろーが、それでもこの地元のスタバのオープン当初とはずいぶん違う気がする。

 

当時は全面禁煙のスタバは多くの人々にとって不都合なのかどーなのか、比較的客も少なく、オレとしては落ち着いて長くくつろぐことが出来た。まあその頃はオレも多少ヒマだったってこともあるが…。

 

最近のスタバのオレの感想は、「平日の真っ昼間、ずいぶんヒマな人が多いなあ」…だ。イヤ、たまたまオレ同様、今日が休みでくつろぎに来ているのかも知れないし、仕事の合間休憩しているのか、あるいは仕事が終わって一息ついているのかも知れないけどね。

 

まあそれはいいんだが、お客が多いということはその分出入りも激しいということで、ましてや、今のコーヒーショップのシステムはカウンターで自分で商品を買って自分でテーブルに運び、帰りも自分で所定のところに食器やゴミを持って行くというセルフサービス。くつろいでいる横を人がいっぱい動くということになる。

 

おまけに入店したら1階なり2階なりのフロアを回って空いている席があるかどーか確認し、荷物を置いてからカウンターに行って商品を購入しまた席に戻って来るということになる。落ち着くまでに時間がかかるし、すでに座って落ち着いていても横をチョロチョロ何度も人が通ると、やっぱ落ち着かなくなってしまう。

 

今日なんか2階フロアの入り口すぐのソファーの席でコーヒーを飲んでたら、大学生くらいの女の子が一人二人と入って来てオレのそばで立ち止まり、「やっぱ空いてないね」「あそこのテーブルにイス集める?」とか相談し、そこへ行ったかと思うと、また一人入って来て、また一人、また一人…とゾロゾロゾロゾロ、いったい何人の集団なんだと思うほどやって来て集結し、結局座れないのかまたゾロゾロゾロゾロと全員出て行った。

 

見ようによってはおもしろい光景とも言えるけど、一人か二人で見に来れば済む話だと思えば、情けないとゆーか滑稽とゆーか、人間の未来に不安を感じさせるとゆーか、複雑な気持ちで落ち着かなかったよ。

 

 

念のために書いておくけど、「だったらそんなところへ行かなければいい」なんてわざわざわかりきったことは言わないでくださいね。現にオレはほとんど行ってないし、たまたま行ったらこうだったってだけの、言ってみればどーでもいい話なんだから。

 

 

 

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| comments(0) | trackbacks(0) | 23:59 | category: 思うこと |
# テレビにくぎづけされたのは何?

「痛み」を連想してしまうコトバがある。

 

「くぎづけ」というコトバだ。それはほとんどテレビから聞こえて来るコトバで、別な理由もあって聞く度にキモチ悪くなる。

 

「メダルラッシュのオリンピック! 日本中がテレビにくぎづけになりました!」

 

何も考えなければ、あるいは大ざっぱに考えればそれで通らなくもないかも知れない。しかしオレの記憶では、正しくは「目がくぎづけになる」「目をくぎづけにされる」…と、そこには「目」が必要だったハズ。文字通りを想像するとますます痛いしけっこうグロテスクだ。

 

だって「日本中がテレビにくぎづけ」って言われても、くぎづけにされる「日本中」って一体何よ?…って思わない?

 

つまりは「視線を外せない」「そこを注視する」といったよーな意味にしたいわけだから「くぎづけ」だけでは意味を成さずどーもキモチ悪い。かと言って「目がくぎづけ」もさっき言ったよーに痛々しい。

 

その言葉を使っているのはほとんどがテレビの中の人たち、アナウンサーやらキャスターやらリポーターやら…。プロならば、「くぎづけ」というコトバを使いたいなら、正確に、もちっとセンス良く使えないものだろーか。

 

せめて「メダルラッシュのオリンピック! 日本中の人々の視線をくぎづけにしました!」くらいに。「テレビに」というふうにくぎづけにする対象物を言うとそれこそ具体的に想像してしまって痛みを感じるのでそれを省くとか…。

 

まあオレはプロじゃないし、決してセンスがあるわけでもなく、この程度しか思いつかないけど、ホントのプロならどんなふうに言うんだろー。少なくとも「日本中がテレビにくぎづけ」はないと思うが。

 

 

 

 

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| comments(0) | trackbacks(0) | 03:27 | category: 思うこと |
# 簡単に予想出来たのに…

前記事ではイヤな「予感」が当たっちゃったことを書いたけど、結果的にどういうことが起こるかはオレは「予想」はしていなかった。漠然とではあるが、あの程度のことではなく、もし起こるとすればもっとひどいこと(例えば事故)だろーとは思っていたが、幸いそこまでのことではなく済んだのはラッキーで、でも予感通り「何か」が起こったのは事実。

 

そこであの「猫も杓子も…」のポケモンGOだが…、

 

アレに関しては「予感」どころじゃなかったね。アレが流行ることによって何が起こるかは「わかっていた」と言っても決して過言じゃない。いつかはどこかで誰かがポケGOのせいで死ぬこともわかっていた。人と人がぶつかることも、転ぶことも、誰かがどこかに「不法侵入」することも、大小様々なトラブルが頻発することも、逮捕者が出ることまで最初からわかっていた。

 

ちょっと「想像」してみれば誰にでもわかることだとオレは思っていたのだが、残念ながらその想像力のない人、あっても使わない人、想像してわかっているくせにそれを無視する人々は本当に大勢いる。だからいろんなトラブルが起こり、あるプレイヤーは人まで殺してしまった。

 

二人の人を車で撥ねて一人を死なせ、もう一人に重傷を負わせた。「運転しながらポケGOをしていて、前を見ていなかった」という。

 

さらに、聞くところによると、日本ではすでに550人以上の少年が補導されている。ポケGOをするための深夜の徘徊などでらしい。

 

時・ところかまわずスマホを手にウジャウジャゾワゾワとポケGOプレイヤーがいる様子を見て、オレは恐怖を感じて以前の記事で彼らを「ポケゴーゾンビ」と表現したが、イタリアのある司教さんはその気色の悪い大集団を「ウォーキング・デッド(歩く屍)」だと言われたらしい。もはや彼ら(プレイヤー)のほうがモンスターだよね。

 

とにかくこんなに簡単に迷惑事やら悲劇やらが起こると、ポケGOを開発して世に出した人ってゆーのは、よっぽど頭が悪いと言わざるを得ないよね。本当に頭のいい人ならそんな危ないものは世に出さないと思うし、出すんならもっともっとマイナス要素の少ない、安全で安心なものを出すんじゃないかなー。そういう頭のいい人が作ったゲームを世に出してくれなきゃねー。何でもかんでも「GO!」出してちゃダメでしょ。

 

だって現実に起こっているとんでもない事象を見れば、そういった遊びに無条件に飛びつく人たちってゆーのは、自分の楽しみだけしか考えられず、それによって他人にどんな迷惑をかけるのか、危害を及ぼすのか、悪い印象を与えるのか想像する頭がない、あるいは、もしかしたら、わかっていてもやっちゃおうという悪意を制御出来ない人、心のない人のほうの割合が多いと考えられるんだから、トラブル多発は必至。驚くに値しない。しかし悲しく情けない。

 

そーゆー人々を利用して彼らはこの世界で一体何をしようとしているんだろーね。そーゆー人々の弱いところ(頭)につけ込んでゾンビ化し世界を征服しようとでも? 

 

念のため言っておきたいんだけど、ポケGOで遊ぶ人のすべてが前述のような「アホ」に相当するとは決して言ってはいないので、くれぐれも…。ただね、ポケゴーゾンビの集団を見てもその区別がつかないんだよね、困ったことに。

 

 

 

 

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| comments(2) | trackbacks(0) | 23:10 | category: 思うこと |
# この先のしあわせのために

10年前、20年前、さらにそれ以前に比べれば、はるかに自然災害の数が増えている近年。

 

災害が日本のどこかで起こる度、いつもいつもオレは思う。災害はまたオレを避けて行ってくれた。今回の台風10号もだ。またオレは救われた。地震や台風で尊い命をなくしたり、被害を受けて大変な思いをされている人々がたくさんおられる一方で、オレの日常は特別の変化もなく坦坦と流れている。

 

こんなしあわせはない。感謝せずにはいられない。これ以上の何を求める必要があるだろうか。天が見ている、守ってくれていることを意識し感謝して生きていれば、何も求めなくても、必要なものは与えられる。…そんな気がする。

 

もちろんこの先、我が身にどんな災厄が降り掛かるかわからないが、そうなればその時必要なことをし、あとは天にお任せしようと思う。

 

過去に起こったそれなりにつらい出来事も、それがあってこその今のしあわせだと思うし、つらい時でさえオレは不幸だとは思っていなかった気がする。

 

本当に悲しくてつらかったのは、今のように考える術を知らなかった少年時代だったかも知れない。たしかに自分は最高に不幸な子だと思っていた記憶がある。しかしその時代があったからこそ、その術が身に付いたわけで、それはとっても必要な時代だったのだと思う。

 

今、災害やその他のことでつらい思いを強いられている人、オレなんかの気持ちがどれだけ通じるのかはわからないが、今がすべてではない、今があるからこそ、この先のしあわせがあるのだと思って欲しい。今生きていることに感謝して、自分自身の秘めたるパワーを信じ、それを最大限に利用して日々を送っていれば、いろんなことにしあわせを感じられる時がきっと来ると思う。ぜひそうして欲しい。

 

無論災害など歓迎出来ないが、それを起こす自然をないがしろにしてはいけないと思う。人間は自然から多くの恩恵を受けている。そのことを意識して生きて行きたい。感謝して生きて行きたい。

 

 

 

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# 信じて声を上げてみよっかな

前記事では「病院」について書いた覚えはまったくないんだけど、何故か「病院」と取る方もおられて、オレの書き方がよっぽど悪いのかなと思い、自分で読み返してもやはりそうとは取れず、ちょっと戸惑ってしまいました。まあそれが病院であろうと医院であろうとそこはまったくどーでもいい部分なんですけどね。でも、できる限り誤解されないように書きたいもんですから…。

 


「病院」というワードが出たついでに、7コ前(7/23の「喫煙天国病院」)の記事の、オレが仕事である患者さんに付き添って行っている病院のことについてちょっと…。

 

先日行ったら、「喫煙所 → 」という立て札があって、多くの患者さんや非喫煙者も通る病院の出入り口のド真ん前に何故か設置されていた喫煙所が、ほんの少し離れた場所に移動していました。まあそれでも出入りする時に7コ前の記事の写真のようにあんだけ多くの人が喫煙したら、ウジャウジャモクモクと見苦しく、ケムリやニオイが漂って来ることは間違いありません(いや、たとえ一人ででもですが)。その病院は少しは考えてポイントを上げたものの、まだそこまでまともにはわかっていない印象です。

 

あれだってきっと多少のお金もかけてやっているのだと思いますが、どうせならちゃんと意味や効果のあることをやったほうがいろいろムダにならない気がします。

 

オレなどの部外者がそんな深い細かいところまで口出しは出来ないし、そこまでの気もありませんが、それでも「お気づきのことがありましたら…」と意見箱も置いてあることだし、またたとえそれがなくても病院を利用する患者側として、明らかに不利や害を強いられることがあれば、とりあえず言ってみることはやはり大事なことかも知れませんね。

 

他の誰が、何人の人がそれをしたかは知りませんが、オレは気づいた時点で(初っ端からですが)、オレの付き添う患者さんのためにも、またオレ自身のためにもそれをしました。何度もしましたが、何の反応もなく時が過ぎました。そしてようやく、不完全ながらも少々の改善が見られたという感じです。

 

と言ってももちろんそれは病院側が元々そうしようと考えていたことかも知れず、オレの投書なんか読まずに捨てられていたのかも知れません。でも、利用するものとして、そこが良い環境の場所であって欲しくて何度も要望したのも決してムダではなかったのかも知れないと、オレは勝手に思っています。

 

世の中には明らかに「それはおかしい」と思うことがたくさんあります。何となくヤバい、ちょっとこわい、めんどくさいと思ってなかなか出来ないことも実際あるんですが、出来得る限り、可能な限り、勇気を持って「声を上げる」ことは大事だと考えます。一人ではむずかしくても、何人もの同じ思いの人の声が集まれば、きっと物事は動くと信じます。

 

 

 

 

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OMOUKOTO(おもうこと)
つぶやきはあくまでつぶやきであって、それがたとえつぶやいた本人の本心であっても、「あー、腹減ったなー」程度のレベルのもので、他人を巻き込んだり、何か重要なことを決定するものでもなければ、真剣に受け取らなければいけないものでもない。だが時につぶやきは、そのつぶやき方によっては、それを聞いた者にとてつもない不快感や災いを与えたり、傷つけたりすることがある。ともすれば、人を死なせてしまうことさえも…。つぶやきはわざわざ他人に聞かせるものではない。一人でボソリと口にすればいいものだと思う。20170201
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